Take Zero

はじめに

曲は1995年から1997年の約2年半の間に作曲されました。
当時これらの曲を演奏するためにバンドを結成し、数々のコンサートを開きました。
バンドには素晴らしいメンバーが集まりました。
実際聴衆は僕らの演奏をとても気に入っているようでした。
それならばレコーディングしてしまおうと思いました。
そんな経緯でTake Zeroの元々の録音は1997年に米国のマサチューセッツ州はボストン市内およびボストン近郊のスタジオで録られたのです。
Newbury Studio, Boston, MA (1997-01-27)
Sound Techniques, Boston, MA (1997-01-28)
Blue Jay Recording Studio, Carlisle, MA (1997-05-13)
この録音は4本のテープに収められました。

このプロジェクトに興味があるかどうか、いくつかのレコード会社に問い合わせしました。
しかしどこも興味が無さそうでした。
それでも一応自分のためだけに、多重録音された音源からステレオにミックスしました。
残念ながらこのプロジェクトは、ここで一旦終了となります。

日本へ帰国する日が迫っていました。
このテープは郵送するのではなく、自らの手で持って帰ろうと思いました。
なぜそう思ったのか詳しくはもう憶えていません。
でもテープ1つですらとても重くて、もし4つも持ったら1歩も動けません。
仕方ないので2つだけ飛行機の手荷物として持って行くことにしました。
そして残りの2つはある男に託しました。
その後、彼はちゃんと残り2つを手荷物として持って帰ってくる事に成功しました。
男は13年後Take Zeroのプロデューサーとなる蒲原です。
あの頃こんな未来が待っているなんて想像もしなかった。

日本に居着いてからも、あの時の録音を何遍も聴きました。
疲れて、自信を失い、勇気が出てこないような時によく聴きました。
いつでもこの音楽は僕にほんの少しだけ力をくれるのでした。
これが最後だと思えば、もう1度勇気を振り絞れる。
そんな気になる、ほんの少しだけの力をくれるのでした。
そんな付き合いが続いていたのだけれど、ある時ふとしたきっかけで、この8曲がまとまって一つのアルバムになる姿を想像しました。
その時から想像上のアルバムが僕に憑りつき、離れなくなりました。
蒲原にアイデアを説明し、副プロデューサーになるよう説得しました。
2010年、物事が再び動き始めました。

我々が最初にすべき仕事は、4つのアナログテープをデジタルデータへ変換することでした。
Avaco Creative Studio, Tokyo, Japan (2011-06-02〜2011-06-10)

次に色々な個所を録音し直しましたし、必要に応じてギターやTake’s Orchestraを足しました。
この作業はTake Two製作と同時進行で進められました。
Take Anything Studio, Kawasaki, Japan (2011-10-01〜2014-08-01)

2014年9月1日にTake Twoがリリースされました。
その疲れも癒えぬ間にミックスに取り掛かりました。
Take Anything Studio, Kawasaki, Japan (2014-11-01〜2015-04-17)
ようやくマスタリングにたどり着きました。
Saidera Mastering, Tokyo, Japan (2015-04-27).

そしてついにみなさんにTake Zeroを紹介できる日を迎えました。
僕はこの8曲を大変誇らしく思います。
彼らは長い年月を辛抱強く耐えて、さらに逞しくなって、再び聴衆の前に帰ってきました。

どうかみなさんに気に入ってもらえますように!

1.Great Guys

Take Zeroで演奏してくれたみんなに、心からの敬意と謝意を表します。
彼らは大変才能ある音楽家です。
このCDがあるのも、彼らの素晴らしい演奏のおかげです。
彼らと一緒に演奏できたこと、大変幸せでした。

2.C.B.G.B.

「タフなボスニアの少女」が曲名です。
ニューヨークの映画館でヨーロッパ映画をよく見ました。
あの頃マンハッタンには現代ヨーロッパ映画を上映する映画館がたくさんありました。
米国に居るのに、なぜアメリカ映画ではなくて、わざわざヨーロッパ映画を見るのか?と疑問に思われるでしょう。
理由は簡単です。
英語を聞くより読む方が得意だからです。
映画の中で繰り広げられる英会話について行けません。 ヨーロッパ映画であれば字幕がついているので、ストーリーについて行けるのです。
さてある日いつものように、特別な理由がある訳でもなく、あるイタリア映画をみました。
その題名は忘れてしまいました。
主人公はイタリア人ジャーナリストで、紛争中のボスニアへ取材に行きます。 散々な目にあって、最後はボスニア難民と同じ境遇にまで落ちていきます。 大量のボスニア難民と共に国外脱出用の船に乗って、アドリア海を渡ってイタリアへ逃げよう(帰ろう)とします。
映画中の1シーンに登場する6歳くらいのボスニア人少女が、僕には強烈でした。
筋書になんら影響しないエキストラの登場人物です。
しかし彼女は、僕の心のかなり深い所にまで降りて来ました。
そして彼女はなかなかそこから動こうとはしませんでした。
僕は彼女のために曲を作り、その深い所から出て行ってくれるようにお願いしました。

3.So Far So Long

「創作する」を、現代人は、「新しいものを作る」と認識しているようです。
僕はこの感覚に違和感を持ちます。
今までに曲をたくさん作ってきましたが、1度も「新しもの」を作った覚えはありません。
中世日本の仏師は、材木の中に宿る釈迦の姿を見つけようとしました。
また中世ヨーロッパの作曲家は、宇宙に存在する調和を表現しようとしました。
それは「ハーモニー」と呼ばれ、太陽と月と地球の動きが発生させる振動が調整されたものでした。
「ハーモニー」は、人間には聴こえないと信じられていましたし、だからこそ益々音楽で表現する使命が生じたのでしょう。
僕は、これら仏師や作曲家に全く同感します。
存在している「美」を表現する事が創作です。
それはすでにこの世に在る訳だから、それを見つけて、それを持ち帰って、それをみんなに見せればよいだけです。
でもこんな簡単な事がとても難しいのです。
磨き上げた技量と、たくさんの経験が必要になります。
この曲を作った時、材木に宿る釈迦の姿を、全く傷つけることなく完全な姿で彫り出す事ができたと感じました。
こんな感じを抱いたのは人生で初めてでした。
そしてまた「ここまで長かった!」とも思いました。
この曲が、最後にはこのCDに至る、その後に続く一連の活動に火をつけました。

4.A Ballad

「バラード」という言葉は、西洋の長い歴史の中で様々な意味で使われてきました。
ここでは現代語として使います。
不定冠詞を付けて、「星の数ほどあるバラードの中の単なる一つ」というニュアンスです。

5.Parallel World

この言葉にも様々な意味がありますが、ここでは共時性(シンクロニシティ)の仕掛けを解く鍵になるであろう仮想物理用語として使っています。
元々この曲名は一時しのぎの仇名でした。
曲中一貫して、和音が平行移動するからです。
しかしこの曲を様々なライブで演奏していく中に、バンドメンバー達にも深遠な意味も込みでこのニックネームが当たり前になってゆき、いつの間にか正式な曲名になっていました。

6.All The Flowers

不思議な音楽です。
傷付きやすいけれど、どっしりしている。感傷的だけど、落ち着かない。
そんな音楽を探していました。
とても苦労した結果がこれです。
なぜか?作曲中僕の頭の中には、色々な花のイメージが浮かんでは消えてゆきました。
見たこともない異星の植物のイメージも浮かんできました。
この宇宙のどこかで、ひっそりと咲いている花なのでしょう。

7.Logan Airport Terminal B

ローガン空港は、マサチューセッツ州はボストンに位置する国際空港です。
ここは僕にとって、米国で初めて降り立った地として記念すべき場所です。
その後も度々ここを訪れました。
様々な人々が、様々な理由で、様々な所へ向かって、旅立ってゆきます。
家族が帰って来るのを迎えに来ている人々も居ます。
出発する親しい人へお別れを言うために来ている人々もいます。
ここにはたくさんの「お帰りなさい」と「さよなら」があります。
それから飛行機を見るのが楽しみです。
滑走路に行儀良く並んで待っている飛行機達が、自分の番が来ると感動的な程凄まじい力で空へ飛び立って行きます。
そして一方では、次から次へと様々な国の飛行機が疲れた様子で降りて来ます。
再び地上に降り立つことができてほっとしているように見えます。
当時ターミナルBに清潔で居心地の良いアイリッシュ・バーがありました。
よくそのバーに座り、窓の外を眺めながら、エールを飲んだものです。
そうやって過ごすのが好きでした。
この曲は,空港そのものへ捧げるのではなく、そういった状況すべてに捧げます。
曲が出来た後、自分の労を労うために空港へ行きました。
いつものようにバーに座り、エールを片手に、夜が更けてゆくのを見ていました。

8.New Born

人は、一生に何遍かは、「生まれ変わり」を体験しなければならないのでしょう。
その体験は、苦痛なのかもしれませんし、喜びなのかもしれません。
あるいはその混合なのかもしれません。

むすび

1997年、僕は荒れ狂う海へ出航した。音楽という名前の海である。
僕にとって、音楽は二つの異なる次元を内包している。
低次元においては職業。
自分の生命を維持するための。
高次元においては使命。
より良い音楽を探求するべく。

出航のために、僕はとても小さなボートしか用意できなかった。
このボートで、荒れる外海へ漕ぎ出して行くのかと思うと、とても生きた心地がしなかった。
しかしなぜだか確信していた。
たとえ航路を見失ったとしても、必ず灯台が行く先を照らしてくれるだろうことを。
「僕の中に灯台があるんだ。」
あの頃よく自分にそう言い聞かせていた。

僕は出航の合図に演奏される「蛍の光」を聴くと、いつも切なくなります。
Take Zeroは僕にとっての「蛍の光」です。

ベルの音を聞いてよだれを流すパブロフの犬のように、
Take Zeroを聴くといつでも胸が痛くなります。
これからも永遠にその痛みが消えることはないでしょう。

Photos

Take plays piano
during a recording


Take plays piano
during a recording


Take plays piano


Ryuta Kamahara plays guitar
during a recording


Ryuta Kamahara plays guitar


Live Performance

Mastering
at Saidera


Mastering
at Saidera


recording the mix master


Digital Performer


Saidera Mastering Studio


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