蒲原"Take Zero"を語る

この作品は、僕の原点である。
アルバムに収められている、これらの楽曲と出会えていなかったら、今の僕は果たして存在し得たのだろうか。

当時、僕はタケのアパートに毎日のように入り浸っていた。
長い時は、次の日の朝まで音楽談義に花を咲かせた。
さらにタケから様々な音楽を紹介してもらった。
僕にとっては、玩具屋に足を踏み入れた子供のような感覚だった。
そこで流れる音楽は、どれも新鮮なものばかりではあったが、
何より印象に残っているのは、音楽の美しさを様々な視点から僕に説いているタケの姿であった。
それまで、こんなにも音楽を愛し、献身的な態度で音楽について語る人を見たことがなかった。

ふと気づくと、部屋には朝日が差し込み、タケの安ワインのボトルが空き、
僕の傍らにはティーバッグの山が出来ていた。

そんな日々を過ごす中で、タケは当時活動していたバンド用の楽曲が出来ると、
メンバーでもない僕にデモを聴かせてくれた。
そして、曲のアイディア、出来上がるまでの苦労や喜び、リハーサルにおいてどのようになるかの不安など
とめどもなく語った。

僕は、彼らのほぼ全てのライヴを観に行き、レコーディングにまで立ち会った。
録音された音源は、各メンバーの演奏を口ずさめるまで聴いた。
このアルバムに収められている曲は、僕にとっても20年来の付き合いなのだ。
当時、唯一残念だったことは、僕にプロデュースを手伝うノウハウや、これらの楽曲を演奏する能力がなかったことだ。

月日が流れ、タケからこのアルバムを制作すると聞かされた時の喜びと興奮は、今でもはっきりと覚えている。
このアルバムの制作に携われるなど夢にも思っていなかったからだ。

そして、出来上がったマスターを聴くと、今でも涙が溢れてくる。
プロデュースを手伝ったことや、アルバムに参加したことなど忘れて聴き入ってしまう。

僕をそのような境地に立たせてくれるもう一つの要因は、
冒頭の曲のタイトルにもなった、メンバーたちによる素晴らしい演奏のおかげでもある。
これらが、当時まだ20代の若者たちによるものだったというのが驚きだ。
技量もさることながら、各メンバーの、楽曲に対する真摯な取り組みやエネルギーが、
20年近く経った今でもひしひしと伝わってくる。
そんな彼らのエネルギーを余すことなく残し、さらに楽曲のイメージをよりクリアにするための
オーケストレーションを加えて、再び解き放つことが、タケと僕の使命でもあった。

タケは当時の自身とひたすら向き合い、僕は彼らの声を拾いつづけた。

その結果、素晴らしい作品になった。
青年が、立派な大人へと変貌を遂げた。

美しい音楽は、時空を超えて美しい。

このアルバムを聴いて、あらためてそう思う。
同時に、このアルバムを端的に表現している。

制作し終えた今、ほっとしたというのが正直な感想でもある。
Take Twoと同時進行での作業や、父親を失った時期とも重なり、
落ち着いて作業出来ない日々が続いたからだ。
一番初めに聴かせたかった父はもういないけれど、この美しい音楽は彼の耳にもきっと届いているはず。

僕はこのアルバムの制作に携われたことを誇りに思う。

そして、タケありがとう!この美しい音楽を世に解き放ってくれて。

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